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2007年11月30日 (金)

ラテンの貴公子・Rayito

Jacket_m
教育テレビのスペイン語会話見てたら、こんなかわい子ちゃんが紹介されてた。
お母さんが日本人のフラメンコダンサー、お父さんがスペイン人のギタリストなのだとか。11歳でフラメンコ・ギタリストのソリストとしてレコーディングを経験したという天才少年。プロフをみると、パヴァロッティ、ドミンゴ、パコ・デ・ルシア、フリオ・イグレシアス等等、錚々たるアーティストたちともコラボしてきたと。ルックスだけでなく、歌もなかなかいい感じだ。
生憎私はMac OS使用者なのでできないのだが、Win使用の方はここでDLできるようです。
http://mora.jp/package/80307744/SICP01647/

Photo
偽装だのなんだの、世の中なんにも信用できないので、こういうものは、やっぱり自分で作らないとね。餃子、焼売、春巻・・・・点心の類いは、あんに何入れても美味しければいいわけだから、家庭では残り物余り物で作るのが常道。春巻の皮は10枚入りで200円前後だが、一度に全部使い切ることはなく(油っこいので一人1個か、多くても2個食べれば充分)、大概二度に分けて使う。中身は冷蔵庫のあり合わせだから、立派に、100円クッキングの領域だ。たいしたレシピではないが、一応近日中にUPしよう。

昔の男(前の前の前・・・くらいだったかな?)の夢をみた。
その男のことが恋しくて、というわけではない証拠に、別れた当時は、そんなこと皆無絶無だった。その男に限らず、終わってしまえば思い出したくもないことばかりだったからだ。つきあってたときはそれなりに楽しく幸せで、本気で好きだったのだろうに、いま振り返れば、娘の父親も含めて、「いい男だった。あのひととのことは一生忘れない」と言い切れる相手が一人もいない。全部が全部、ろくでもない縁だったとは思いたくないが、亡父の呪いどおり、やはり私は終生男性との良縁には恵まれないらしい。
恋のはじまりを予知できないのと同様、人は、恋の終わりを予期することもできない。たとえできたとしても、潔く身を退くことができず、最後の最後まで悪足掻きしてしまう。いま思えば、私がそのひとを好きになり、そのひとに好かれようと願い、彼の望みに極力応えようと努力したのと同じく、彼らも相応の努力はしてくれたのだろう。つきあいはじめの頃には、ものの見事に私の期待を裏切り続けていた娘の父親でさえも、次第に軟化し(私に洗脳された?)、アニバーサリーとか毎日の電話とか、彼なりに、できる範囲で努力するようにはなっていた。しかし、元々ベタな恋愛シーンが大好きな私には、その程度の軽い努力で満足できるわけもなく(ホワイトデーのお返しに、天王洲アイルの「シェ・松尾」を予約してくれたまではよかったが、そこまでで彼の財布は力尽き、ワインは自前、そしてレンタカーのガソリン代も私が払ったさっ!)

恋のはじまりのころ、なんてジャスト・フィットなの、まるで私のために遣わされたかのようなひとだわ、と思ったあのひとも、いま思えば、相当無理をしていたんだろうね。メールの返事のタイミング、一日2回(屢々それ以上のときも)の電話、デートコースの構成・・・etc.  すべてが、あまりにも私の望みどおりだったので、私は忽ち有頂天になったわけだが、恋は、一瞬の煌めきの中に永遠を見出すからこそ美しいのであって、一瞬の煌めきが永遠に変わるなんてことは、先ずあり得ないのだ。ジェームズ・ボンドも、そう言っている。なのに、恋をするたび、もしかしたら、これが「永遠」に続く幸福かもしれないなんて、虚しい希望を抱いてしまう。いつまでそんなことを続けるのかな。でも、「恋」はやっぱりすべての原動力なので、なくしてしまったら、明日から生きられないかもしれない。

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