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2008年1月29日 (火)

重版報告

261
2005年9月発売。5刷りだそうです。相変わらず、アンソロジーは息が長いしよく売れる。宮部みゆきさん、ありがとう!!

2008年1月28日 (月)

終わってしまった

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「SP」 。面白かった。この時間枠のドラマにしては珍しく、キャストも豪華なら、物語もしっかりしていた。
できればずっと見ていたいと望むドラマだったが、そうはいかないか。しかし、あれほど意味深なラストシーンで終わらせるとは、心憎い。四月に二時間スペシャルがあるそうなので、恐る恐る期待しておこうか。何故って、その時間枠内で毎回きっちり見せてきてるドラマを、引き延ばすということは、単純に考えて、無駄な部分を増やすってことでしょう。間延びして、冗長なドラマになるだけ。かつて多くの人気ドラマが、その運命を辿ってきた。そうならないことを、切に望む。

2008年1月26日 (土)

朋有り

こういうことになるから、常日頃つきあいのある仕事相手、仲間たちは後回しにしても、親類縁者、旧い友人たちへの賀状は最優先したつもりだったのだが・・・・・。また、やっちゃった。しかも、前と同じ相手だ。

もう20年以上も会っていない、旧い旧い友だちから、電話をもらう。
はい、ごめんなさい。年賀状、出し忘れちゃったんだね。あのころはまだ娘がいなかったから、10年以上前だろう。前回も、全く同じことで電話もらったね。曰く、「毎年きてた年賀状がきてないから、心配しちゃって」。そうだよね。年に一度、生存確認の意味しかない賀状を、それでも年に一度やりとりするのって、確かにその必要があるからなんだ。縁があって知り合い、お互いの貴重な青春の一時期を知っている限り、どこまでいっても、彼女と私は友だちなのだ。20年顔合わせていないことなんて、全くなんの意味もない。あのころの、いつも不安でビクビクしていて、なのに、身の程を過ぎた夢ばかり人一倍持ち合わせていたころの友だちは、仮にこの先一生会えなくたって、一生友だちだ。唐突に電話もらって恐縮したけど、本当に嬉しかった。

彼女とは、女子寮で同室だった。
私の入った女子寮は、所謂その大学の寮ではなく、県人会の寮故に、学校はそれぞれ違っても、皆同じ土地出身、同じ高校出身の者も少なくなかった。そんな中で、彼女とは、同じ高校出身で、同じ大学の全く同じ学科に進学したというのに、入寮したその日が初対面。お互いに、相手の存在をはじめて知ったのだった。共通の友人もいたのにね。しかし、そこはマンモス校の常で、学科は同じでもクラスは別。そのおかげで、幸か不幸か、彼女とのあいだにも微妙な距離が設けられた。それがよかったのだろう。そうでなければ、所詮因業深い女子同士、ガッコも学科も帰るところもみんな同じでは、何れ友情関係は破綻したと思う。

彼女とは、決してベタベタしない(女同士には珍しく)、サッパリした、男同士みたいな関係だった。
彼女が失恋して終日布団かぶって泣いてた日、私はなにも、一言も問わなかったし、彼女も同様だった。こちらから、「ねぇ、聞いてくれる?」と切り出せば、それこそ朝までだってつきあって話を聞いてくれるくらい情深いけれど、先走って、「なにがあったの?話してよ」なんて、押しつけはしない。見え透いた慰めを言ったりもしないが、救いの手を伸べないこともない。たぶん、私が最も理想とする友人、理想とする仲間だ。

まだまだ多感な十代最後のとき、奇しくも私は、こんな素晴らしい友を得ることができた。
だからなのかな。やっぱり人と人との出会いは素晴らしいし、たとえどんなに不遇なときでも、人生は、まだまだ捨てたもんじゃないと思えてしまうのだ。長い人生の中で、たまたま1年間同じ屋根の下、同じ部屋で過ごした朋。お互いに、なにも求めないしなにも期待したりもしない。ただ、相手がいまどんな状況にあるんだろう、とその身を案じたときだけ、気にかけてくれる。そして、どんなに時世を経ていても、「○○(本名)〜、元気か〜?」と一言問われたら、その途端あのころに戻ってしまえる。そんな朋友を、私は、少なくとも1人はもっている。ありがとね。

2008年1月24日 (木)

雪は降る

ほんのちょこっと朝方だけ降って、昼前にはやむのかと思ったら、意外と本格的に降りやがった。寒い。
そして、怖れていたとおり、モノレールは間引き運転。でも、怪我の光明というべきか、いつもなら10分以上待たねばならないところ、中途半端な時間に10分遅れのモノレールがやってきたため、熱を出してお休みしていた娘のお昼を作ってからでも、レッスンにはそれほど大幅に遅刻しないですんだ。どーでもいいけど、寒いレッスンだった。暖房嫌いな先生も、さすがに今日は入れてくれたが、床はひんやり。そろそろ長いスパッツをはくべきかな。

「恋のチカラ」再放送の最終回。
過去10年くらいのドラマの中でたぶんベスト1と言えるくらいに大好きなドラマ。何度見ても飽きない。台詞も、たぶん殆ど間違いなく言えるくらいによく覚えている。堤真一は文句なくカッコいいし、深津絵里はなんとも可愛らしく小気味よい。西村雅彦も坂口憲二も、実によく、役にハマっている。ネズミエンピツが突如売れ出すところはちょっと苦笑いなんだが、まあよくできたフィクションの許容範囲内。ラストのファミレスのシーン、本当に大好きだ。無意識に心の中で、(末永く、幸せにね)と呟いてしまうくらい、大好きなのだ。

2008年1月23日 (水)

夜間外出中

土曜日、アイララのバイトを皮切りに、日曜日はパルマ教室&ギターレッスン、月曜日は本業の打ち合わせと、三連チャンで夜間外出が続いた。(日曜日のパルマ教室は昼間からだったが)
ご飯が不味いと心が荒んでくる。自分がいない夜でも、家族どもにはできる限り、手作りのものを食べさせたい。土曜日は餃子、焼きナスのショウガ醤油あえ、大根と油揚げの味噌汁。日曜日は昼から出なければならず時間的余裕がなかったので昼のパスタのみ作り、夜は生協のマグロ丼にしてもらった。で、月曜は昼間からレッスンに出てしまうため、日曜の夜に作ったハッシュド・ビーフに。時間的余裕のあった土曜日以外は、メインしか作れなかったが、まあ作っただけでよしとしてもらおう。しかも、ハッシュド・ビーフに使った国産和牛は前々夜半額でゲットしたすぐれもの。そして、餃子の餡に使った野菜も、殆ど野菜室で瀕死寸前の残り物ばかりだ。緊縮財政は辛いけれど、人間、あらん限りの知恵を使い、労力を惜しまない限り、日々の暮らしは存外愉快なものになる・・・はず。腐らず頑張ったおかげか、本業のほうにも光明がみえはじめてきたし・・・。
そして、今年の私のテーマは、初心にかえって、「笑って暮らす」だ。面白可笑しく遊び暮らすという意味ではない。いいことがあった日はそんなこと意識せずとも、自然と笑顔になれるだろう。だが、たとえ辛くて苦しいことばかりだった日でも、必ず一度は、心から笑えるようにする。笑顔になれるように創意工夫する。知恵を使い、五感を研ぎ澄まし、身のまわりのあらゆることに興味を持ち続けるようにすれば、人生は遥かに違う。そうして私自身が幸せになれたなら、家族ども、そして親しいお友だちや仲間たちも幸せになれるよう、その手伝いをしていこうと思う。この世の中で、人と拘ってゆく限り、自分1人の幸せなんてものはあり得ないのだから。

2回目のパルマ教室。
教えてくださるギターの先生は相変わらず優しい。私は昨年12月に続いて2回目の出席だし、踊りを習いはじめた年月も他のみんなよりはちょっと長いはずなのに、全然だめ。コントラ(裏)は全然とれないし、基本のパルマに足が入ってくると途端にパニック。なのに先生、「はじめてだから、しょうがないよね。頑張ろうね」と。この先生は、昨年のミステリーカレッジでも、私のヘタレ・ブレリアを、「大丈夫だから、踊ってごらん」と勇気づけてくれて、はじめて1人で踊らせてくれた大恩人。よろず習い事は、劣等感を抱いたが最後、萎縮してパニくって、やがては精神的負担となってやめてしまう。指導者として最も肝要なのは、その能力に個人差のある教室を運営していく上で、決して劣等感を抱かせないことではないか、と私は思う。フラメンコはじめて4年目に突入。一つの習い事、途中で何度か辞めようかな、フラメンコに「さよなら」しようかしら、と思いながら、それでもなんとか続いているのは、先生がいままで出会ったどのジャンルの先生よりも指導者として優れているからだろう。パルマを教えてくれるギターの先生も、その意味で、本当に素晴らしい指導者だ。

そして、先生サイトhttp://www.ogataeri.com/のブログでのお言葉、「覚えるのが遅くても早くても、たとえ進歩がまったくないように思えても、フラメンコに関われた時間の分だけ幸せだわ! と思って頑張っていれば、少しずつ理解できると思います!」に、KOされた。まさしく。フラメンコに関われた時間の分だけ、私は幸せです。

2008年1月18日 (金)

幸せでいてほしい ・ その2

発表会の衣装候補を試着に行く日。
折角みんなが顔を揃えるというので、地元でちょこっと(小一時間)自主練してから出発。自主練もいい感じだったし、無事に衣装も決まって(そして、奇跡のような話だが、なんと今回の衣装は、私の大好きな感じの衣装なのだ)、あとは頑張って練習するのみ。いろんなことがあって、フラメンコ自体をやめてしまいたい、と思うことも度々ありながら、その都度、私のフラメンコ観を変えてくれる出来事があったり、もっと踊りたいと望むことがあったり、とにかくなんでもいいからフラメンコと繋がっていたい、と思うほど衝撃的な出会いがあったりして、いまに至る。なので、私はいま、とても幸せです。まだまだ、本業は不安定で、不遇を託ってはいるものの。

で、タイトルからもおわかりのとおり、以下は、完全なる私信です。
わけあって、私はこのひとと、この先直接言葉を交わすことを避けようと思うので。勿論、そのひとがこれを読んでくれることは、メッセージをビンに入れて海に流すに等しい行為だと思います。でも、とにかく、言わずにはいらにれないので。

かつて大好きだったあなた。
あなたは変わってしまったんだね。出会ったころ、そしてお互いに幸せな日々を過ごしていたころのあなたは、いままでに私が出会った誰よりも、大きくて寛くて、懐の深いひとだった。日々の繁雑なことなどものともせず、自分自身の歓び、愉しみのためにこそ、人生を生きていたね。そして、そのころのあなたは、全世界の人々の幸福を願えるくらい、心に余裕があったんだ。

だけど、あなたは変わった。
忙しくて用があって、1日はあっという間に過ぎてゆく。誰にとっても同じく、1日は24時間しかない。忙しくて、用があって・・・・。でも、それは、この世の誰にでも言えることだよね。あなただけが、特別じゃない。そんなこともわからず、自分だけがただただ忙しく、偏に仕事をしていると。だからこの世でたった1人、自分だけが特別、自分だけが偉いのだと思っているあなた。はっきり言って、あなたは間違っているのよ。もうそろそろ気づいてほしい。忙しい、時間がない、・・・みんな同じだよ。誰もあなたに強要してなんかいない。余裕のない、追いつめられたかのような言葉でしか応じられないのなら、返事などしなくていい。なのに、なんでそんなに頑になるの? 無数にある選択肢を全部否定してしまうの? きっと、毎日が楽しくないんだよね。毎日が楽しくて自分自身も幸せならば、心に余裕をもてるはずだものね。可哀想だね。でも、いまはどうであれ、かつてあれほど大好きだったあなただからこそ、やっぱり、いまはもとより、未来永劫幸せでいてほしいと思うのですよ。

2008年1月17日 (木)

今季のドラマ

まだオンエアされてない新番組もあるので、言い切るのは早計かもしれないが、どうもパッとしないなぁ。どれもみな、見終わったあとの爽快感皆無絶無。これは辛すぎる。小栗旬主演の『貧乏男子』も、なんだかいまいち。なにがやりたいんだか、全然わからない。イケメン度が増した小栗君にパッとしない役を演じさせて、イメージダウンを狙ったのか? 理解に苦しむ。

ちょうど1年前、同じ枠でオンエアされてたのが、篠原涼子主演の『ハケンの品格』だ。これは秀逸なドラマだった。スーパー派遣社員大前春子の颯爽とした活躍には、リアリティ云々を言う以前、理屈抜きに楽しませてもらった(オフのときはフラメンコも踊ってたし)。その後番のマツジュン主演『バンビーノ』もよかったし(やっと気がついたが、「ハチクロ」で真山君役を演ってる子は、バンビーノで厨房の見習い君を演ってた子だ! それに、一季前の『暴れん坊ママ』の幼稚園の先生だ)。一つおいて、『働きマン』も実によかった。
で、その活き活きドラマシリーズの後継たるべき『斉藤さん』だが、今夜もまた、息苦しい展開だったなぁ。相変わらず、斉藤サンの正義感は空回り。悪いが、子を持つ母親として、高島礼子演じる園ママリーダーのほうに共感してしまった。悲しいけれど。とりあえず現実はおいといて、せめてフィクションの中だけでも、当たり前の正論や正義がまかり通る痛快な展開にしてほしかった。たとえば、斉藤サンが異能の人で、彼女の一喝、ひと睨み、説教に、何人たりとも従わせる力がある、とかね。そうでなければ、彼女は既に、10回くらい鋭利な刃物で刺され、20回くらい猟銃で撃たれ、100回くらい家に火をつけられているはずだ。その覚悟もなくただ闇雲に正論をふりかざすのは、残念ながらただの蛮勇だ。そして、この世の中は既に、斉藤さん1人の蛮勇によってどうにかなるほど単純な世界ではなくなってしまった。残念ながら、この一〜二回放映に限っては、高島礼子の言ってることのほうが正しい。彼女は闇雲に事勿れ主義に徹しているわけではない。実際に大切な娘を傷つけられた、という苦い経験からものを言っているのだ。その言葉には重みがあり、特に今日の放送を見る限りでは、斉藤サンは完全に負けていた。私だって、娘がまだよちよち歩きくらいのころ、電車の中でフィリピン人の男に突然突き飛ばされたとき、喉元まででかかった「なにしやがんだ、この野郎!」という言葉と、反撃したい気持ちを辛うじて飲み込んだ。娘に攻撃が向くことを怖れたからだ。
それにしても、今日びの高校生なら、楽しい遊びはもっといろいろあるだろうに、なんでこれほど、幼稚園に固執するかね?斉藤サンへの意趣返しというよりも、ここまでくると、危険な異常者のニオイを感じる。それもまた、世相を反映してのことか? 娘が保育園に行ってるころ、その行き帰りでは近所の高校の生徒たちに何度も不快な思いをさせられたが、同校の生徒は育児の授業で保育園に実習に来たりもしていて、子供たちにいたって優しくしてくれたらしい。子供には、本能的に邪悪なものを見分ける能力がある。見え透いた作り笑顔は通用しない。娘も、(あの当時は)高校生のお姉さんお兄さんたちには心を開いていた。世の大半の高校生たちは、たとえどんなに心がささくれていたって、幼稚園や小学校を相手にしやしないだろう。

2008年1月15日 (火)

人生が二度あれば

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ギザ、カワユス〜♪  レッスン後に寄ったお馴染みのカフェにて出会ったチワワの子犬ちゃん。よろず、小さきものはギザ、カワユス。いまはもう、終日殆ど動かない老犬だって、小生意気な馬鹿娘だって、ちっちゃいころは可愛かった。まあ、どんなにお馬鹿でも、娘はいまだって充分可愛いんだけどね。

深夜のテレビを見ていたら、ミシュラン三つ星に選ばれた「すきやばし次郎」の小野次郎さんが出ている。ついつい見入ってしまったら、なんだか自分のいままで歩んで来た人生がつまらなく思えた。子供のころ、食事の時間は苦痛以外の何ものでもなく、食べ物なんて、生きてくための滋養を摂取する以外、それ以上の意味なんてないと思ってた。食べることに、本を読んだり映画を観たりするのと同じか或いはそれ以上の歓びを感じるようになったのは、酒の味を覚えた二十数年前からのことだ。思えば無駄な人生を過ごしてしまったな。もっと早く、「食」の素晴らしさに目覚めていれば・・・・。

酒は誰でも酔わすが、どんなに優れた詩でも、文字の読めない人を酔わすことはできない、と嘆いた中原中也は、だが、だからといって、酒が詩の上だなんて考える奴あ  「生活第一藝術第二」なんて言ってろい、ときっぱり言い切っている。文士よ、せち辛い世の中をみるが好いが、その中に這入っちゃ不可ない、とも。

でも、私には言えないな。
誰でも容易に感動させられる美味しいお料理よりも、ただ虚しいだけの「言葉」のほうが上だなんてことは。そして、本当に人を感動させられるだけの美味しいお料理は、言葉なんて容易く凌駕する。それがわかったいま、食べるという行為に、書を読むこと以上の魅力を見出せなかった己の幼少期を只管呪うのみ。もしも、ただただ生きてくために必要な滋養を得るだけの「食事」が、言葉よりも強く激しく人の心を揺さぶるものだと知っていたなら、小野次郎さんみたいに、一途に美味しいものを作ることに没頭するというような人生の選択もあったんだろうに。それが、成就するかどうかは別としてね。

2008年1月14日 (月)

ヤバい・・・

すぐに戻せるものとタカをくくっていた約1kgの正月太り。油断してたら、どうやら定着してしまったようだ。いつもなら、一〜二食抜けばすぐもとにもとに戻るのに・・・・。常日頃の腹筋とか、ごくたまにやるハードトレーニングのおかげで、ギリギリまでしぼっているため、うっかりどこかに無駄な肉をつけてしまうと、それをなくすことはなかなか難しい。腹筋も、回数を増やしすぎて体がそれに慣れてしまうと全然効果なくなるし・・・・。ヤバいよ、ヤバいよ。

そろそろ確定申告のための経費計算等をしなければならないシーズン。
先代G3が息絶え、現在のG5を導入してからというもの、贅沢にも、会計はずっと外注してきた。今年はそんな予算もないし、奮い立たせて自分でやるしかない。Mac用の会計ソフトは断然使い易いのだが、新しく購入するとなるとお高いし、ここは一念発起して、Excelを使いこなせるようになろうと思う(それが一番安上がりだし、今更手書きの記帳の時代には戻れないし)・・・・。が、一念発起はしたものの、なにがなにやら、何度たちあげてみても、さっぱりわかんない。ヤバいよ、ヤバいよ。

2008年1月11日 (金)

ズッキーニ

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たまには中国歴史作家らしいことを書こうと思ったら、昨日はアクセス数が激減した。

さて、98円でゲットした特大ズッキーニ。みよ! この大きさ!!
一度に使いきるのは無理だから、1/3はパスタに使って、1/3はスープに使って、あとの1/3は、ガーリックソテーにしようかな。

2008年1月10日 (木)

天道は是か非か

八方塞がりな事態に直面したとき、必ず思い出すようにしている言葉だ。
「私が悪いわけじゃない。正しいはずの天道とやらだって、実際には正しいのかどうなのかわかったもんじゃない」
そう思えば、多少は気が休まる。

『史記』列伝の第一、伯夷伝に出てくる言葉だが、弟に国を譲って出奔した伯夷・叔斉という兄弟が、主君を討った周の国の穀物を食べて生きることをよしとせず山中に隠れ住み、薇ばかり食べてやがて餓死するという、それ自体が教訓の集大成みたいなこの伝は、名言名句の宝庫である『史記』の中でも些か異質だ。春秋時代よりずっと大昔、実在したかどうかも疑わしい人物なので仕方ないのだろうが、エピソードが少なく、大半が太史公(司馬遷)の述懐である。そして、この兄弟の名を世に知らしめたのが孔子だというのだから、教訓くさく感じるのも道理だろう。
とまれ、義を貫いた兄弟は惨めに餓死したというのに、人を殺して金品を奪い、放埒の限りを尽くした悪党が天寿を全うする。天道は是か非か。中国文学科の最初の必修の書であった『論語』は即座に挫折したが、『史記』は最も学びたい書物だった。結局学校ではなにも学ばず、その後必要に迫られて読むことになったのだが・・・・。

本日のエアチェック。「斉藤さん」。これもマンガ原作らしいが、マンガ読んだことがないのでなんとも。観月ありさには凛とした美しさがあるし、彼女が、身のまわりに蔓延る不正を一刀両断していく話ならさぞや痛快であろう、と期待していたのだが、第1話を見る限り、なんだか消化不良気味。「斉藤さん」の正義感が空回りして、周囲との軋轢を深めるばかりなのがどうにも息苦しい。とりわけ、実際に子供の顔に火傷を負わせた歩き煙草男になんの罰も下らず、彼に突き飛ばされた「斉藤さん」が怪我しただけだったのには驚いた。自分の子供を傷つけられて文句も言えず、逆に「ごめんなさい」と謝っている母親にもあきれたが。この先なんらかのカタルシスが用意されているのだろうか。用意されているとしても、それがドラマの終盤近くで、毎回この調子が続くとしたら、厳しいな。できれば、「働きマン」みたいな溌溂としたドラマを見せてほしいんだが。

2008年1月 9日 (水)

新番組エアチェック

「はちみつとクローバー」・・・前々作の「花きみ」で、私的には一番輝いて見えた生田斗真くん主演というので、今季最も楽しみにしていたのだが。ううむ。これは、やはり、原作のテイストをどうやったら出せるのかと試行錯誤した挙げ句に生み出されたものなんだろうね。私は原作読んでないので、そのへんのとこ、全然わかんないんだけど。どんだけ原作に肉迫してたのかしてなかったのか、原作ファンのみな様、よかったら、お知らせください。でないと、なんでいまの時期、敢えてこういうドラマを作ったのか、先ずその存在意義がよくわからないのです。

「あしたの、喜多善男」は、作り過ぎてて、やや鼻白み気味。原作のエッセンスを完全に無視したこのダサいタイトルもいやだ。はじめから、回数予告してきているとおり、その予定回以前に終わってしまっても仕方ないなぁ、と思うんだけど。

2008年1月 8日 (火)

しぐれ舟

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私が心血を注いで監修した書き下ろし時代小説アンソロジー・第二集「しぐれ舟」(徳間文庫)が、そろそろ店頭に並びます。第二集の隠しテーマは「恋愛」。不倫、援交、同性愛、略奪愛、できちゃった婚・・・・なんでもありな現代と違い、社会的な制約の多かった封建社会ならではの恋。かなわないからこそせつなく美しく、また生涯忘れ得ぬ思いともなる。拙作「リメンバー」は、私にしては珍しく、江戸時代初期というより、戦国末期といっていい時代を背景とした物語。例によって、シチュエーションコメディーを髣髴させるドタバタで、かなり楽しんで書きました。とまれ、自分の好きな作家さんたちに書いてもらって、自分自身も好きなもの書いていい、こんな極楽な企画、もう二度とやらせてもらえないんだろうなぁ。文庫が爆発的に売れてくれたら、5冊目作っていいですよ、とか夢のような展開にはならないだろうか。今年は初夢も悪夢でさんざんな幕開けだったんだから、それくらいのサプライズが用意されててもいいんじゃないか。

さて、今日は待ちに待ったレッスン始め。
やっぱり、楽しいなぁ。あいだがあいたので、またまた前回の復習するだけで終わってしまった。次回はもっと頑張らなくちゃ。これからは、本腰入れてふりざらいと足の復習をしよう。大好きなグァヒーラ、できるだけ完全な形で発表会で踊りたいもの。

2008年1月 6日 (日)

のだめ、とか・・・etc.

「のだめカンタービレ」ヨーロッパ篇第二夜。
娘も見たがるし、「鹿鳴館」は録画して、こっちをリアルで見た。本放送のときからちょっと時間が経ってるし(そういう場合、スペシャル版は作り過ぎて面白くなくなることも多いのだが)、相変わらず、理屈抜きに楽しいドラマだ。のだめはあくまでのだめであり、千秋先輩はとことん千秋先輩なので、もうそれだけで笑えてしまうのだった。実は、本放送のときは途中まで故意に見ておらず(原作読んでなかったし、なんか中途半端におちゃらけてそうなところがいやだったので)、たまたま間違って見た回が滅茶苦茶面白かったので、それ以後真面目に見はじめたのだが物語は既に終盤近く。先日の一挙再放送で、やっと前半を見た。いや、それ以前に深夜のアニメでだいたいの雰囲気は摑んでいたのだが・・・・多くのドラマファンが言っていたとおり、確かに、ドラマのキャストは、原作以上によくハマっている。
そして、劇中ふんだんに盛り込まれているクラシック音楽の美しいこと。こんな機会でもないと、なかなかクラシックに触れることのない俗人にとっては、それだけで嬉しい。娘も、いろいろ質問しながら、珍しく一生懸命見ていた(これを機に、「またピアノやりたい」とか言ってくれないかな)。ストーリー自体についてあれこれ言うのは、このドラマに限っては野暮というものなので、あえてふれない。それにしても・・・・「変態の森へようこそ」(爆)。最高だ。ブラボー!!

そのあとやってた、「今夜渋谷で6時(だったかな?)」という新人シナリオライターのドラマもなかなか。バカバカしさの予定調和は、この時間帯、この尺だからこそ許される。見終わったとき、視聴者に不快感を与えていなければ、単発のスペシャルドラマとしては大成功と言えるだろう。こんなドラマをみるとつい、私も、いつか書こうと温めてるネタ、いっそシナリオにしてみようかなぁ、などと不遜な考えをいだいてしまう。

そして、「SP」。
堤真一って、ほんっとに、ステキだな。まさしく、制服の似合う男・ナンバーワンだ。海軍将校のときの真っ白い軍服はとりわけステキだった。鈴木オートのお父さん役も悪くないけど、この人にはやっぱり、スーツか制服を着用して欲しい。そしてできるならば、彼が朝起きて、ベッドを出てからスーツを着るまでの一部始終をビデオにおさめて繰り返し見ていたい(変態の森か?)。彼のセクシーさに比べたら、サラリーマン金太郎改め、特命係長只野仁のあからさま過ぎるフェロモンなんざ、問題ではないのよね。

で、この時間まで「SP」を見てしまったので、「鹿鳴館」は明日見よう、っと。
正和さまの影山伯爵、のだめの合間にチラ見した限りでも、意外にハマってたようなので楽しみだ。

2008年1月 5日 (土)

初悪夢とバーゲン

いやな夢をみた。
またもや昔の男の夢だ。例によって、男は冷たく、この上もなく薄情で、一途に恋していたころの自分を全否定したくなるほどのいやな展開、いやな結末だった。もしこれが劇場公開の映画なら、100人中95人くらいまでは確実に、この男の非道さに同意し、私に感情移入してくれることだろう。私は、物語として男女の愛を描く際、いつだってハッピーエンドを想定している。所詮お伽噺なのだと承知しつつも、一つの愛が成就するまでの紆余曲折を描くことに歓びをおぼえる。でも、本当の男女の結末は、お伽噺のハッピーエンドの、そのあとにこそ、訪れるんだよねぇ。そして、終わる間際の哀しさ切なさ情けなさは、筆舌に尽くし難い。只管落ち込み、毎日泣き暮らし、遂には、あれほど恋い慕った相手を憎み、呪う。こうなると最早、相手はいてもいなくても、どうでもいいようなもの。自分自身の中に巣食う、醜く悪足掻きする自分自身との闘いなのだ。できればそんな虚しい闘いには昨年いっぱいでピリオド打ちたかったのだけれど、こんな夢をみてしまうと、自信喪失するなぁ。やっぱり私の因業深さは天下一やな。

悪夢の余韻を振り払うべく、満を持してバーゲン出撃。
思いどおり・・・・とまではいかなかったが、まあまあ、そこそこの品物をゲットして帰る。仕方ないね。グランデュオのバーゲン開始は2日、ルミネは3日からだったそうで、めぼしいものはほぼ売れちゃったんだろう(と思いたい)。・・・けど、バーゲンというのに、全然安くなってないなぁ、というのも正直な感想。例年、バーゲンといえば50%引きが常識なのに、今年は、30%引きの品が七割以上。あんまり得した気がしないのだった。

昨夜、ギリギリに帰宅できたので、タッキーの「雪之丞変化」を、録画じゃなく、リアルタイムでみた。
で、ちょっと(いや、かなり)驚く。かつて私が見たことのある「雪之丞変化」って、長谷川一夫御大主演で、典型的な明朗時代活劇って感じだった。で、長谷川御大の闇太郎に対するおちゃらけキャラの昼太郎を、我が雷蔵さまが演じていたり、どうでもいい役を勝新さんが演ってたりして、如何にも大映のオールスターお正月映画、といった感じだったのだが。このドラマは、とことん暗いつくりになっていた。折角、タッキーという花のある役者を使ったのに、何故こんなにも陰鬱な演出をしたのか。歌舞伎調の語り口などはいいとしても、折角のアクションシーンで、タッキーを活かしきれていなかったのではないか? ・・・そしてまた、波路役、かつての貫禄充分な若尾文子さまに比べて、ライヤーゲームの子(戸田某)は、やはり相当見劣りがしました。可愛いだけじゃ、ダメなのよ。

2008年1月 4日 (金)

ミステリー・バスツアー

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昨日は6時起きして日帰りバスツアーに参加。一応、当日まで行き先のわからないミステリーツアーということだったが、まあ、バスが三鷹から立川に西下してくること、行く先の一つにガラス工房が入っていることなどから、甲信越地方であろうことは容易に察せられたが、まさにそのとおりであった。「風林火山」まつりの終わった甲信越のお正月は当然静かで、どこかうら寂れているのだった。写真は、まず一つ目の立ち寄り先、ハーブ庭園のシクラメンと蘭。樽酒サービスがあり、出発2時間後で早くも上機嫌。
Photo_4バスは中央高速を一路西へ。諏訪大社参拝後、いろいろ(味噌屋とかチーズケーキの店とか)立ち寄り後、諏訪湖畔のガラス工房へ。写真は、時価二億円のクリスタルボール。娘が、「でも、二億円だして欲しがる人いるの?」と聞くから、「ルパン3世なら欲しがるんじゃない」と答えたら、小馬鹿にしたような目で私を見る。ったくぅ、近頃頓に可愛くなくなってはたんだからぁ。「マリと子犬」のときはあんなに大泣きしてたじゃないかよぉ。
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そして、このツアーのもう一つのウリである、三食付き。朝はサンドウィッチとコーヒーだったが、昼はジャンボ海老フライと和牛ステーキ、夜は魅惑の蟹づくし御前。これだけの食材を用いて、よくぞこれだけ●●く作れるものだ。バス30台からの人数ぶんを何時間も前から作りおきするんだから、まあ仕方がないんだけど。こういうツアーの参加者は圧倒的にお年寄りが多いので、嚼んでも嚼んでも噛み切れない和牛ステーキは、大半の人が残してました。私ですら、死力をふりしぼってやっと半分。

そして、感想と結論。
しばらく(少なくとも、2〜3年)は、バスツアーはもういいや。ああ、疲れた。

2008年1月 3日 (木)

初詣

200801021330000
本来なら元日に行くのだが、昨日は私が昼寝してしまったため出られず。一日遅れと相成った。
無事参詣をすませ、いつものようにうちわを買う。買い終えて後ろを見たら、娘がいない、勿論老母も。ゲッ。はぐれてやがる。しかし、こういうときのために携帯電話という文明の利器がある。縦しんば老母が自分の携帯を忘れていたとしても、番号を暗記している娘が公衆電話からかけてくるだろう。待つこと、5〜6分。・・・・ダメだ。おそらく、危機管理能力の欠如した二人、人混みではぐれたことにすっかりパニくって、虚しく探しまわっているのだろう。仕方なく、出口付近に移動して待つ。こういうとき、人混みの中をうろうろするのは自殺行為だ。少し待ってりゃ、いくらなんでも出口に向かってくるだろう。・・・・待つこと20分。待てど暮らせど、来やしねぇ。さては、娘がクレープ食べるとかなんとか、あれこれ道草くってやがるな。麗らかな晴天とはいえ、止まってじっとしているとさすがに寒い。生憎酒も飲んでないし。ジリジリしながら更に十数分待ってたら、ご近所にお住まいの浅田次郎さんに遭遇した。人混みだし、お急ぎのご様子だったので一言ふた言、軽くご挨拶。正月早々ミリオンセラー作家と遭遇するとは、こいつぁ春から縁起がいいわい。
とまれ、帰途につくべくモノレール駅に到着したところで、漸く携帯に着信あり。なんと、自宅からだった。てめーら、私の監視の目をかいくぐって、勝手に家に帰っていやがったんか。ええ、ええ。どうせそんなもんだよなっ。なんだかんだ言っても似た者同士で仲良しのババアと孫にとって、普段家にいないお父さん同然のママなんて、所詮いてもいなくてもいい存在なんだよなっ。

さて、明日は「お正月3食グルメバスツアー」のため、早起きしなければいけないので、(私にしては)早めに就寝します。

2008年1月 2日 (水)

今年初のNG

午前11時起床。
お雑煮用の餅を焼く。まだ亡父が生きていたころから、餅焼きの作業はずっと私の仕事だった。素材を丹念に扱う根気よさと仕上がりの巧緻さを要求されるこの種の職人的作業は、いつも私の仕事なのだ。もしも娘が私と同じ資質を持ち合わせているようなら、そろそろ世襲させたかったが、ちょっと無理なようで、非常に残念だ。
お屠蘇を飲んで新年を寿ぎ、満腹になって昼寝する。(だって、就寝時間は7時近かったのよ!)

年末ジャンボは、当然はずれた。300円の当たり券は例年どおり娘のお年玉に。「どーせ当たるわけないよ」と老母に悪態つかれながらも毎年買い続けているのは、お酉さまのくま手とかお不動さんのうちわと同じく、縁起物だと思ってるから、ただそれだけよ。別に、負け惜しみじゃないよ。断じて、ないよ。

さて、新年早々いやなことは言いたくないのだが、大事なことだし、自分自身への自戒もこめて。
折角もらった年賀状、宛名の名前の漢字が間違っていると、忽ち興ざめる。それも、手書きでうっかり書き間違えてしまったというならまだしも、わざわざデータ入力しているのに、だ。そして、入力ミスしている彼は、編集者。いままでも、そしてこれから先も一緒に仕事することは金輪際ないかもしれないが、苟も、編集者が作家の名前を間違うなんて、言語道断なんじゃないのかな? 私は、どうせこの先のつきあいが九分九厘ないに違いない彼に対して、直接このことを告げようとは思わないし、彼はおそらくこのブログを見てはいないだろうから、一旦入力されてしまったからは、これから毎年間違った名前の年賀状が届くのだろうなと思うと、些か気が重い。

「水名子」という名は、字面が珍しいこともあって、当たり前のようにペンネームと思われがちだが、実は歴とした戸籍名だ。「美奈子」「美菜子」「美名子」「皆子」・・・これまでにも書き間違えられたことは数知れず。だから、多少の誤字には概ね寛容であった私だが、これは酷いと思った。

「水無子」
絶対に、あり得ないでしょう。
確かに、名前の由来を思えば間違いではない。だが、人の(それも女性の)名前に、この上なく不吉で虚しい「無」の文字を使う無神経さ。だからこそ亡父は、悩みに悩んだ挙げ句、涙を呑んで、一番画数の少ない「名」の選んだのだ。若い子たちのあいだでは最早漢字は疎ましがられるだけの存在になり果てたのだろうが、少なくとも、私は自分の仕事を別としても、文字そのものが明らかな意味をもつ漢字を深く愛している。もし日本語が、ひらがなとカタカナだけの世界になってしまったらどうしよう、と本気で怖れるくらいに。

とまれ、こういう書き間違いをしてくれた「彼」は、何度か酒席をともにし、歓談し、挙げ句に「先生の御作のファンです。全部読んでます」と言ってた人物なのだから、呆れてしまう。同業界人で、出版の仕事をしていて、(まあ、ファンというのは社交辞令だろうけど)多少は私の著作を読んでいるという、(いくら若いと言っても)30過ぎの男子にしては、ちょっと、お粗末過ぎはしないかな? 文字の素養が、全くないわけじゃないんでしょ?

2008年1月 1日 (火)

あけましておめでとうございます

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本年も、よろしくお願いいたします。

今年から、おせちの煮しめも全部私の担当に。従って、味つけは私好みの薄味です。

さて、だらだらとお正月番組見ながら、酒の続きでも呑もうかな・・・・

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    まだ書店で手に入りそうな著作です。

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