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2008年1月26日 (土)

朋有り

こういうことになるから、常日頃つきあいのある仕事相手、仲間たちは後回しにしても、親類縁者、旧い友人たちへの賀状は最優先したつもりだったのだが・・・・・。また、やっちゃった。しかも、前と同じ相手だ。

もう20年以上も会っていない、旧い旧い友だちから、電話をもらう。
はい、ごめんなさい。年賀状、出し忘れちゃったんだね。あのころはまだ娘がいなかったから、10年以上前だろう。前回も、全く同じことで電話もらったね。曰く、「毎年きてた年賀状がきてないから、心配しちゃって」。そうだよね。年に一度、生存確認の意味しかない賀状を、それでも年に一度やりとりするのって、確かにその必要があるからなんだ。縁があって知り合い、お互いの貴重な青春の一時期を知っている限り、どこまでいっても、彼女と私は友だちなのだ。20年顔合わせていないことなんて、全くなんの意味もない。あのころの、いつも不安でビクビクしていて、なのに、身の程を過ぎた夢ばかり人一倍持ち合わせていたころの友だちは、仮にこの先一生会えなくたって、一生友だちだ。唐突に電話もらって恐縮したけど、本当に嬉しかった。

彼女とは、女子寮で同室だった。
私の入った女子寮は、所謂その大学の寮ではなく、県人会の寮故に、学校はそれぞれ違っても、皆同じ土地出身、同じ高校出身の者も少なくなかった。そんな中で、彼女とは、同じ高校出身で、同じ大学の全く同じ学科に進学したというのに、入寮したその日が初対面。お互いに、相手の存在をはじめて知ったのだった。共通の友人もいたのにね。しかし、そこはマンモス校の常で、学科は同じでもクラスは別。そのおかげで、幸か不幸か、彼女とのあいだにも微妙な距離が設けられた。それがよかったのだろう。そうでなければ、所詮因業深い女子同士、ガッコも学科も帰るところもみんな同じでは、何れ友情関係は破綻したと思う。

彼女とは、決してベタベタしない(女同士には珍しく)、サッパリした、男同士みたいな関係だった。
彼女が失恋して終日布団かぶって泣いてた日、私はなにも、一言も問わなかったし、彼女も同様だった。こちらから、「ねぇ、聞いてくれる?」と切り出せば、それこそ朝までだってつきあって話を聞いてくれるくらい情深いけれど、先走って、「なにがあったの?話してよ」なんて、押しつけはしない。見え透いた慰めを言ったりもしないが、救いの手を伸べないこともない。たぶん、私が最も理想とする友人、理想とする仲間だ。

まだまだ多感な十代最後のとき、奇しくも私は、こんな素晴らしい友を得ることができた。
だからなのかな。やっぱり人と人との出会いは素晴らしいし、たとえどんなに不遇なときでも、人生は、まだまだ捨てたもんじゃないと思えてしまうのだ。長い人生の中で、たまたま1年間同じ屋根の下、同じ部屋で過ごした朋。お互いに、なにも求めないしなにも期待したりもしない。ただ、相手がいまどんな状況にあるんだろう、とその身を案じたときだけ、気にかけてくれる。そして、どんなに時世を経ていても、「○○(本名)〜、元気か〜?」と一言問われたら、その途端あのころに戻ってしまえる。そんな朋友を、私は、少なくとも1人はもっている。ありがとね。

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