2010年11月 9日 (火)

最後の犬カレンダー

最後の犬カレンダー
カレンダーの残り枚数はあと二枚。今年も残すところ2ヶ月を切ってしまい、ときの流れの早さに驚くばかりだが、毎年ペットショップから貰っていた可愛い子犬のカレンダーは今年限りということに、改めて気がついた。犬がいなければ、当然ペットショップとの縁も切れる。犬カレンダーはもう貰えないのだ。タローが死んで早八ヶ月。思い出して不意に悲しみがこみあげることもあれば、我が家に犬がいたことさえ忘れているような日もあった。まだまだそんな日々が続くのだろうが、最後の犬カレンダーがその役目を終えるとき、我が家は確実に、犬と無縁の家となる。淋しいけれど、それもときの流れなのだろう。
写真は、若き日のタローと私。

2010年2月26日 (金)

もう、いない

タローが死んで、そろそろ三週間ほど。十年以上も一緒に暮らしてきた犬がいないというのは、こういうものなのか、としみじみ思う。寂しい、と言えば、勿論寂しいのだが、それとともに、なにか物足りないというか、家の中が静かすぎるというか……。こればかりは、家族の中でも家にいる時間が一番長い私にしかわからない感覚かもしれない。インターホンが鳴れば、一緒に飛び起き、ドアの前に待機してくれたり、それが嬉しい相手(よく家に来るお客さんとか、顔馴染みの配達員さんとか)だと、私より先に飛び出して迎えてくれたり。ダスキンのお姉さんも青汁のおじさんも、ヤマト運輸の配達員さんも、我が家に犬がいたことなど、既に忘れているだろう。かつてタローの無駄吠えに迷惑を被った隣近所の人たちだって、忘れている。この数年のタローは本当に静かな犬だった。そういえば、娘がまだ小さかった頃、一人で留守番するにあたって、「タローがいるから大丈夫」だと言っていた。「泥棒が来たら、タローが吠えてくれるから」と。確かに、当時のタローは、声だけ聞けば、そのちっちゃな体に似ず、ドーベルマンかと思うほど迫力ある声で吠えた。玄関のドアの前に人が立つと、誰であろうと、とにかく吠える。娘にはそれが、頼もしかったのだろう。

だが、インターホンが鳴っても誰かがうちの前に立っても、いまはもう、タローはいない。やかましいセールスマンを追っ払ってくれた犬はもういないのだ、ということを、日々思い知らされる。

2010年2月10日 (水)

タロー逝く

タロー逝く
三日前、タローが死んだ。

サイトの開設当時から私の日記を読んでくださってた方々は覚えておいでだろうか。甘いもの(とりわけ鯛焼き)が大好きで、ストーブ大好きの寒がり老犬タローが、遂に、永い眠りについた。晩年は、ご飯と散歩のとき以外寝てばかりの静かな犬だったが、いないとなると、やはり淋しい。享年、13歳11ヶ月。

娘が生まれたばかりの頃、はじめて見る嬰児という生き物に驚き、泣き出すたびにあたふたしていたことが、懐かしく思い出される。

2008年5月22日 (木)

犬の日

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確か、1月11日だったか、11月1日だったか?

それはどっちでもいいんだけど、先日故あって、ペット犬の繁殖をしているブリーダーさんのお家に行って来た。犬種は、まかり間違ったら我が家でも飼ってたかもしれないトイ・プードル。なんとも可愛らしいが、短毛で鼻が長くて、狼みたいな歯並びの犬が好きな私にはまるで猫みたいだ。写真は、生後2ケ月の子犬。よく寝ること・・・。

2007年11月24日 (土)

朝朗け

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昨日昼食後例によって昼寝したら、どうやら圧倒的に寝不足だったらしく、夕方6時過ぎまで寝てしまった。これでは昼寝じゃなく、本格的に寝て早寝した感じだ。案の定調子が悪くなり、早寝した(と言っても午前2時だが)。しかし、アルコール摂取なしに爆睡すれば、6〜7時間も眠ると勝手に目が覚めてしまう。朝食お腹いっぱい食べても眠くならないということは、充分寝足りたということだ。やった!! これを機に、生活時間の移行に成功するか!?

が、それには重大な障害があるということに今更ながらに気がついた。
私は、夜寝るのがいやなのだ。夜、寝ることが怖いのだ。だから朝になって、外が白々と明け白んでからでないと熟睡できない。暗いうちに寝なければならないときは、だからいつも多めの寝酒を飲む。素面で早い時間から就寝すれば、必ずといっててほどいやな夢をみて魘されるし、金縛りにも遭う。それというのも、私の寝室は、我が家の鬼門というか、最も悪い《気》が集まり易い部屋なのだ。日中でも陽が当たらないし、空気のとおりが悪い。ベッドの下は殆ど不要品置き場で、日常の中で使わなくなったが捨てるにしのびない古いもの(サックス、ギター、娘の電子ピアノ.....etc.)などを片っ端からぶち込んである。それでまた、悪い《気》が溜まる。自然と生き霊も集まり易くなる。それで部屋を暗くすることができず、枕元のスタンドを点けたままで寝るのだが、それを老母が、トイレに起きた際勝手に消してしまうのだ(なにしろ一時間おきにトイレにおきてる)。だからアブナくて、深夜のあいだは寝られない。早起き生活者への道はまだまだほど遠いかもしれない。

リビングのヒーターを出して試運転したのだが、何故か犬が、全くそこに寄り付かない。いつもなら、スイッチ入れる前から砂かぶりを占拠してしまう寒がり犬が、だ。耄碌して、ヒーターのこと忘れちゃったのかな? 

2007年2月22日 (木)

猫の日

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実は全然知らなかったのだが、本日2月22日は、「猫の日」なのだそうな。(ちなみに「犬の日」は、果たして1月11日か、11月1日か?)
だからというわけではないが、猫好きの友人たち(もちろん家には歴とした飼い猫有)と、猫カフェなるところへ行ってきた。犬派の私が、何故突然「猫カフェ」なのかというと、話せば長くなるので割愛する。要するに、そのシステムに興味があったのだ。カフェと銘打ってるが、実は全然カフェじゃない。さしずめ「ドッグ カフェ」なら、自分ちの犬を連れてって、飼い主同士がお互いの犬の可愛さを自慢しあったり、褒めあったりするところ、というのが常識。ところが「猫カフェ」のシステムは全然違う。

先ず、店には可愛い猫ちゃんたちがいっぱいいる。客は、全く人見知りせず、恐ろしく人なつこい猫ちゃんたちと思う存分遊び、遊び足りなければ延長し放題。常連になると、指名も可能。なんなんだ、このシステムは!? ・・・所謂「キャバクラ」? 猫キャバ?? もしかして、アフターもありか? 寿司屋に連れてって、猫が美味しいお刺身を食べ、人間は残った酢メシを食べるのね。

しかし、可愛かったなぁ。
三十年以上ぶりくらいに、猫と触れ合った。
親戚とか友人宅に飼われてる猫なんて、来客には、「逃げる」「隠れる」「シカトする」という接客態度の輩ばかり。間違っても触らせてくれたりはしない。私が子供のころ(就学前)、外で拾ったり、交渉して貰ったりした猫を、二度ほど家で飼ったことがあるが、2匹とも、私のことをとても嫌っていた。私は猫が大好きだったのに、全然遊んではくれなかった。そして、2匹とも、1年たったら家出していた。
私は猫が(少し)嫌いになった。

とまれ、ここの猫ちゃんたちは、驚くほど人懐っこく、可愛らしく、看板に偽りなし、でした。
「キャット カフェ  RIEN」
http://www.rien222.com/cafe/event/event.html

※ そして帰宅後、気がついた。
猫って、ホントに足音させない生き物なんだ。犬は、タロー程度の小型犬でさえ、カッカッカッ・・・コツコツコツ・・・と、小刻みなその足音のうるさいことといったら。しかし、犬と暮らして既に十数余年。この小刻みな足音に慣れてしまったからなぁ。足音もなく、気配もさせずに近寄って来る生き物とは、多分怖くて暮らせないだろう。そして、あんなにふにゃふにゃで、綿菓子みたいに儚げな生き物に対して、「こん畜生ッ、出てけ〜」だの、「待てっつーのがわかんねぇのか、このバカ野郎っ」とか、とてもじゃないけど、言えないもん。

近著

  • 三国志外伝貂蝉記ー翡翠の翼・上
    まだ書店で手に入りそうな著作です。

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フラメンコ

  • さくら祭り2009
    これまでに経験したステージ・イベントの記録です。
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